 水戸
弥七か?(320Km)
2006/10/09
昨日の不完全燃焼のせいで、なぜか帰宅後も荷物はそのままに、早起きをしてリベンジだ!しかし起きてみると7時半。 中途退散とはいえ600km弱も走り、あの風の強さで身体はクタクタだったようで泥のように眠っていました。 昼まで事務所で雑務後、普段着のまま、ちょっとそこまでと思い首都高に乗ると珍しく渋滞が無く、なんとなくまだETCで走ったことが無い常磐道方面へ、モニターエリアは水戸までだった為以前Mr.TillBoneと途中まで走りながらMr.TillBoneのタイヤの不良のため中止した「風車の弥七」のお墓に向かうことにしました。 水戸ICから那珂川沿いの県道52号線から国道123号線、県道39号線の、のどかな田園風景のさきに弥七の墓が。 水戸黄門に登場する「風車の弥七」は実在の人物で常陸国松之草村(茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に住んでいた「松之草小八兵衛」がその人です。 この人は元々盗賊の頭領で、忍びにも長けていたと言われ、1昼夜の内に120kmを往来する能力があったそうです。 後に捕らえられましたが、黄門様によって命を助けられ、その恩に感謝して「自分の存命中は御領内に盗賊は立ち入らせない」と誓ったとされており、また隠密としても領内や諸国の情報を集め、水戸黄門に報告していたそうです。隣には妻 お新の墓もありました。 また近くには「水戸藩紙漉き場跡」があり、光圀公の当時、和紙は藩の財源を支える重要な農産品で、光圀公は大切に扱っていたそうですが、侍女たちは乱費に慣れ改めようとしなかったので、ある年の寒中にここへ侍女たちを連れてきて紙すきの苦労をみせたとか。もちろん、この進言と世話をしたのも弥七です。 時間を見ると既に15時、来た道を戻るように行くと、行き交う車もほとんどいない、青空の下広がる田園風景は昨日の嵐での疲れを癒されるものでした。こんな短めの旅もいいですね!
 那珂川
 風車の弥七の墓に到着
 水戸光圀との経緯が
 風車の弥七の墓です。
 水戸藩紙漉き場跡
|
|
|
 |
|